My Master Of Life put a writing brush.
「Planning」企力では「筆」を用います。

企画力は、あなたにとっての武器となります。企画(書)とは、人、物、金を動かすツールだからです。
しかし、武器として使えるようになるためには、自分の生き方を描き表すチカラが必要となります。Planning=企力を身につけるためには「自分を俯瞰して感じる」ことが必須であり、その「感じるチカラ」を究めるために、PPF講座では「筆」を用います。

ビジネスプロデューサー伊藤淳は、企力という創造の源は自分の知識と経験からしか生まれてこない!と断言します。新しいモノ、コトを創造するには、他者の知識や経験と、自己の知識や経験とを組み合わせ、化学反応を起こさせる必要があるのです。

「企は命なり」とは、伊藤の言葉です。一方、筆、「書」といえば、弘法大師空海に「書は散なり」との言葉があります。うまく書こうとか、正しく書きたいといった意識や雑念を捨て、心身のリラクゼーションに努めた上で、四囲の風物などの対象に心を集中し、イメージ力を高め、その想像力が沸点に達した時、やおら筆をとって、そのイメージを造形する。これこそが書の真髄です。これはまさに伊藤の言う「企は命なり」に通じます。

企画書は、自分のアイディアから生まれたビジネスを相手に理解させ、自分のビジネスに巻き込んでいくために実用が求められる資料です。一方で、それを絵にした時、視覚的に一瞬で伝えられる頭脳と、人の目に印象を残す美的センスが求められます。それは、実用を超えたイキザマと言えるでしょう。

同じく「書」には、文字として伝える手段を超え、「心画(しんが、しんかく)」という、自己鍛錬、自己表現、自他合一が可能になる文化芸術の域を表す言葉があります。人格を練磨、修養することで自己表現が可能になり、それが他者の心に伝わるのです。点画の力の入れ具合や角度など「骨法(こっぽう)」と称される書の用語があります。物事の根本となる基本や枠組み、日本の伝統的な芸道・武術などの奥儀、コツと言えます。コツとは我流です。 自分だけのオリジナルです。同じ字を書いても筆跡が人それぞれ異なり、自分を証明するものであるように、「骨法」の紙に入れるその一筆は自分だけのものです。

伊藤の使う言葉に己を究める「己究」という言葉があります。「心画」と同じく、自己鍛錬を重ね人格を磨き、自己表現し、さらに他者、他物の融合にまでつながることを言い表しています。伊藤の使う「図法」は、書でいう「骨法」と同じく、基本、枠組み、奥儀であり、そこにはオリジナル性が求められ、さらに組み合わせのデザインこそがビジネスにおけるコツであり我流となります。
筆を使うことで、「骨法」「心画」を手に馴染ませ、その感覚及び筆を通じて現れた「感じるチカラ」を皮膚感覚で養うことが出来るのです。

雑体書と呼ばれる、鳥の足跡のような文字や、龍が高く舞い上がるような文字など、六十に余りある書体を、空海は「皆、人の心、物に感じて作れるなり」と言い表しています。
今風に言えば、イメージ力、想像力を膨らませることが創造の源だとする真理に通底するのですが、対象やイメージの世界に没入し、自然を含む他者、他物と自己との合一化によって、新たな書体が生れ出たのです。
企画書も然り。人の心、物に感じて創るもの、生まれ出(いず)るものなのです。

「企は命なり」それは伊藤の言う「企画書には命を削る」こと!ビジネスプロデューサーには、その言葉と筆を座右においてもらいたいと思います。

「Presentation」プレゼンテーションでは、対象とする相手に納得いただく説明のできる技術が求められます。

プレゼンテーションの醍醐味は「魅力」です。魅力とは人を惹きつける力であり、相手に感じさせること。相手を感じ、自分を感じさせるチカラ」が必要なのです。

「魅は理屈を超えたもの」とは伊藤の言葉です。

あなたが、いくら熱意をもって話をしても、筋道を立てて、論理的に話を進めても、全く相手に届かなかったということを経験したことはありませんか?
心ある上司や、実の親は、本音であなたのことを思って口にします。
「他人があなたの言うことを聞いてくれないのは、あなたに魅力がないからで、いくら正しいことを言っていたとしても、話す人間に魅力を感じなければ、相手に好意をもってもらえなければ、その言葉は相手には伝わらない」
厳しいけれど、これは事実です。人は、あの人の言葉は聞けても、この人の言葉は聞けないという感情が先に立つ人が多数だからです。
meditation
そこで、プレゼンテーションの講座では、あなたに「盲目(もうもく)の人」になってもらいます。

他者は自分の合わせ鏡です。他人に話を聞いてもらうためには、あなたが相手の話を聞かなければなりません。あなたは、相手が見えているがゆえに、不必要な情報を目にし、相手に対して不必要な感情が生れているのです。

アンリ・ベルクソン(19~20世紀フランスの哲学者、ノーベル文学賞受賞、1859~1941)も下記のような言葉を書き残しています。
「心が受け入れようとしているものしか、目には見えない。」
また、中国古典「大学」第三章には「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味。」心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず。という言葉があります。心がなければ、見ること、聞くこと、味わうこと、すべて、本来の姿、音、味を知ることなどできないということを言っています。

スティービー・ワンダーやレイ・チャールズは目の見えない音楽家として有名です。日本でも、盲目のピアニスト辻井信行氏がいます。特に、日本では古来より目の見えない人が琴や三味線の演奏家として活躍し、検校(けんぎょう)と呼ばれる高い地位を得ていました。目の見えない人は、残された耳がとても鋭敏になり、音楽という分野には向いているのかもしれません。

また、ブラインドサッカーは、1980年代にスペインで開発された視覚障がい者のためのスポーツで、皆がアイマスクをして同じ条件になります。その上で、チーム内で声を掛け合い、その声を信頼することで競技を進めていくのです。人間は80%の情報を視覚から得ています。そして、それが遮断され情報がなくなった時に不安や恐怖を感じます。しかし、一方で視覚からの情報がないことで見えてくるものも、感じるものもあるのです。

機械は100%を超えることはできません。しかし、人間の能力というのは、実は、世の中からみて、ハンディを抱えるからこそ、残っている機能を100%以上にする力を秘めているのです。我々は、実は見たくないものを見ることで、本来の能力を出し切ることができないことが多々あります。

PPF講座では、盲目の人を仮体験することで、感性と能力の研磨を行い、自らの強みに気づき、魅力あるプレゼンテーションを身につけることができるのです。

「魅は理屈を超えたもの」この伊藤の言葉は、「プレゼンテーションの魅力もまた、理屈抜きに見る者を圧倒する力」を意味し、それこそがビジネスプロデューサーに不可欠であるということなのです。

「Facilitation」―和力とは「まとめる技術」それには「無私の心」をもつことだと伊藤はいいます。この講座では、そのために皆さまに聾(ろう)者になっていただきます。聾者とは耳の聴こえない人のことを言います。

ファシリテーションとは、グループの活動が円滑に行われるように、中立的な立場から支援を行うことをいいます。そのための技術であり、協働促進と訳すこともあります。
「プロジェクト・ファシリテーション」の場合は、組織やチームが目標を達成するために、創造や変革、問題解決、合意形成、学習などを体系的に支援し、プロセスを促進させていくものです。
人心をまとめ、動かす原動力は、ただひとつ、公平無私ということです。自分の利益を図らず、自分の好悪や感情で判断しないということです。

伊藤はビジネスプロデューサーに欠かすことのできないチカラは「和力」であると言います。また「共有、共創、共生」という言葉をよく口にします。
Dragon Fury wallpaper
聾者の「聾」という字は、空想上の神獣「龍」の下に「耳」と書きます。龍には耳がありません。そこで、たとえ龍に耳をつけても聴こえないというところから、この字を使ったという説があります。
明(みん)の時代、朗瑛の「七修類稿」巻四十三に「龍無耳以角為聰」―龍に耳無きも角(つの)を以(もっ)て聰(きく)を為す。という言葉があります。つまり、耳が無ければ他の感覚で聞くことができると言っています。

また高名なドイツの哲学者、イマヌエル・カントの言葉に
「Blindness cuts you off from things; deafness cuts you off from people.」
(目が見えないことは人と物を切り離す。耳が聞こえないことは人と人を切り離す。)
という言葉があります。

人と人との関係で難しいことは、自分の感情にいいことは受け入れられても、悪いことは受け入れられないということがあります。しかし、ファシリテーターに求められることは、人の感情を無とし、俯瞰した目で見ることなのです。
ファシリテーションの時間では、皆から出てくる意見、すなわち現実には見たことのない想像上の「龍」、チームの新しい創造である「龍」を知るために、敢えて聾者として耳を塞ぎ、皆は聾者に理解してもらえるような言葉を文字や絵で伝えていきます。
人は、耳は聴こえていても、自分の内で聞きたい言葉や音と聞きたくない言葉や音を選別し、自分に都合のよいモノだけを抽出します。また、働きかける人間も、自分に都合のよい言葉を並べるのが人間の性といえます。
ですので、敢えて耳をふさぎ、本当に人々の言いたいことを読み取ることが、本当のファシリテーターとして公正で中立な立場を知ることができるのです。

耳の聞こえない作曲家ベートーベンは、なぜ、後世に残る音楽を創り上げることが出来たのでしょうか。それは、中途失聴であり、それまでに音の基礎が叩きこまれていたからだと言われています。
日本という国内の中で、生まれながらに耳の聞こえない少年がピアノを演奏する機会に出会ったことがあります。彼の演奏にはひけらかす超絶技巧はありません。そもそも、彼自身には自分が紡ぎだすピアノの音はほとんど聞こえていません。
彼の演奏にはゆらぎがなく、ブレが無いのです。音楽の揺れはもちろんあります。しかし、ピアノを打つ指は、まるで、確信に満ちた着実な足どりを思わせます。それは、まさしく語りでした。余分な感情…衒(てら)いや自己顕示欲、卑下が一かけらも無い、純粋な彼自身の言葉が飾り気なく語られているのです。だからこそ、ヒトは胸を打たれるのです。

ファシリテーターは場の鏡の役割をもちます。
耳の聞こえない少年の家族は母親でさえ、辛いこと、哀しいこと、悔しいことがあると、聞こえない彼の元へいき、聞こえない彼に話しかけるのだそうです。彼が、ふっと笑みを見せると、それだけで自分の心が晴れてくっきりとした次へのステップを見つけ出すことができるのです。

「和は無私なり」それは伊藤の言う「共有、共創、共生」の世界を創りだすための大きな原動力になるのです!ビジネスプロデューサーは、人をまとめ動かす指導力が求められます。「無私」を養うために耳を塞ぐ時間を体験してください。

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